大本営の詩2
雲の上の住人と若き獅子編
●序章 運命の会議が終わった後、最初に扉を開けて出てきたのはシステム部長だった。いつもの強気の姿からは考えられない弱々しい歩調...だらりと下がった両肩から、容易に会議の厳しさが想像された。 次に出てきたのは被告団...つまり、欠陥製品の代理店N社の面々。被告...そう!まさに、それは会議と言うより裁判だったのだ! 機械的な動きで、無言でエレベーターへ乗り込もうとする。妙に生き生きとしている海一人を除いて... 「1階の受付まで送ります。」小走りに付いて来たH課長は後ろから話しかける。4人を乗せたエレベータの扉はゆっくりと閉じられた。 そう、ゆっくりと... ●第一章 社会人にとって、雲の上の人種は確実に存在する。まして、H社のような巨大企業に於いては、普段、部長以上しか会う事を許されない特権階級が居るらしい。H社は日本一官僚的なピラミッド型組織として有名。工場のある某H町(同名)は、工場を頂点とする城下町と呼ばれ、絶対的な忠誠が要求された。その昔、本社から「殿様」が地方に乗り込む際に、歩く道に赤い敷物が敷かれたと聞かされても、何の不思議もなかった。 従業員数万人の巨大企業に於いて、事業部長の肩書きは一般企業の社長よりも重い。その大事業部長様が「海」の目前、上座で斜に構えて足を組む。 「おい!トラブル・シューティングの基本は何だ!」 究極竜の咆哮が、システム部長を直撃し、この哀れなスケープ・ゴートはびくりと痙攣し、次の瞬間、顔面蒼白になった。海は冷静に、彼の足元を確認して、最初から震えているのに気付いていた。 「その...つまり...ですから...」 「お前は、日本語から勉強した方が良いんじゃねぇか?」 昔なら任侠の大親分というところだろうか?流石に大した貫禄を備えている。 「それはつまり、こう言うことです!」 シーンと静まり返った会議場の中で、おもむろに口を開いたのは、H社の将来の幹部候補、本部長の懐刀と呼ばれるH課長だった。彼は、海の盟友でもあり、社内に足を引っ張られながらも、事態の沈静化に努めようとする中心人物のひとりだった。彼は調子が出てくると自分に酔う癖があるのが唯一の難点...充分に頭が切れ、説得力を持ち、何よりもカリスマ性を備えていた。 「この人しか居ない!」海が会議前に運命を託したH課長。その瞬間まで海には一抹の不安が残っていた。会議場に向かうエレベーターの中でH課長から揺れる胸の内を明かされていたからである... ●第二章 「海さ〜ん!今、本当にドキドキしてます。心臓が飛び出しそうです。実は事業部長に直接お会いするのは初めてなのです。」 この飾らない素直な性格に誰もが惹かれるのだろうなぁ...海は数ヶ月前にH課長の存在を意識するようになった出来事...印象的な光景を思い出していた。 5月某日某会議室「さて!これで失礼します!私にとってワールド・カップは仕事より大切なので...」大事な会議中にTVを見るために、早引けするその堂々とした姿に、誰も文句を言う者はおらず、清々しさすら漂っていた。 「海さ〜ん!いざとなったらフォローお願いしますね」 「はぁ...我々はただ事業部長様の意思を拝聴するだけです。」 「その通りです!事業部長は抜いた刀を収める鞘を捜しているのです。ですから、最大限譲歩していただけるようにお願いします。我々は同じ船にのった仲間なのですから...」 「はい!」 (再び会議室へ) 「...という状態です。」 「ふむっ...」 事業部長は手をあごに当てながら暫し考え込んだ。 「状況は良くわかった。たぶん、その方向性に間違いはないだろう。ただし...もっと早く上に報告するべきだったねぇ...上の人間は悪いことほど、知りたがる人種なのさ」 これは最上の褒め言葉と言えるであろう。 その直後、返す刀が海の隣で神妙に聞いていたN社営業部長に襲い掛かってきた。 「こんな状況まで放っておいて、客を目の前にして何とも思わないのか?そもそも、これは事故だとはっきり認識しているのか?」 「...」 「おい、意味わかっているよな?」 「わかりません!」 「......」 「事故とは何ですか?」 不穏な空気が漂い始めた時、事業部長の隣でそれまで沈黙を守っていた男がにこやかに話しかけてきた。 「事故とはH用語で、納期が過ぎてもシステムが稼動しない状況です。H社的には、たいぶ前に発生したM銀行のオンライン・トラブルと今回のトラブルは何ら変わるものではありません!そして...」 明瞭で引き込まれるようなこの男の声を聞き、海は不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じていた。そう!今までに経験したことのないような...これが伝説のトラブルシューターとの出会いであったのだ! (「大本営の詩〜伝説のトラブルシューター」へ続く) ●終幕 1階でエレベータが開き、タテマエ的な別れの挨拶を交わす。その後、H課長が海に駆け寄り、耳元でつぶやく。 「矢は放たれました。そして、役者は揃いました。お互いに頑張りましょう!」 高層ビルの自動ドアを抜けて、下界に足を踏み出す。 いつの間にか、雨はあがり、雲の合間から太陽が姿 をのぞかせていた。 海は魂の高ぶりを隠せなかった。 |