大本営の詩


【大本営の詩 その1】

東京丸の内...由緒ある日本最古のオフィス街。
中でもひときわ伝統を感じさせる建物がそびえたつ。

新丸ノ内ビルヂング(通称新丸ビル)。
一歩足を踏み入れると、時間が止まるような錯覚に襲われる。
長い廊下には窓がない...
キーキーときしむ音だけが、暗闇に吸い込まれる。

「この木なんの木」株式会社。
出入り業者から「大本営」と呼ばれ、恐れられている一室。
サポート部長を先頭にN社6人は黙って廊下を進む。
102号室
重い扉を開けて入るとそこには、眼を閉じて、腕組みをした
ダークスーツの集団が待ち構えていた!

「どういうことだね!?」
会議に参加した20名の視線が一点に注がれる。
舌戦は、いきなりシステム部長の一言から始まったのだ。
契約以来、3ヶ月ぶりのボス登場に、緊張感が走る。
「はい!弊社といたしましては、全力を尽くしております!」
営業課長はひたすら頭を下げる。
「本番は来週だよ!今週も今日で終わりじゃないか!
 口で説明するのでなく、状況報告は紙で出せ!紙で!」

「障害レポートにつきましては...」
ここで初めて海課長代理が口を開く。
「昨日の状況、推定原因、今後の対策をまとめ、昨日の
午前中にK様宛てにメールで送信させていただきました。」

「昨日、障害が発生したのに今頃になって来るは遅すぎる!」
「弊社のサポートをすぐに現地に派遣する手筈は整って
 おりましたが、電話でT様とご相談させていただいた結果
 本日の午後に担当者全員立会いになりましたので...」

会議室にざわめきが起こる。
「おい!K君、私にはレポートは届いておらんが...T君
 こんな重要な障害を今日まで放っておいて良いのか?
 Y課長!こんな基本的な管理責任を怠っているのか?」
「そうは仰いますが、我々システム部からセンターにマシン
 の使用を依頼したところ、前日までに報告がないとダメ
 だと言われましたので...」
「何を言っているのだ!障害レポートを上げて、緊急と
 言えば済むことではないか?」
「そうです、スケジュール厳守が一番大切です。」
ゴマすりの運用課長もシステム部長に同意する。
「...」
Y課長の額に脂汗が滲む。
(まずいなぁ...これからY課長と一緒の作業だしなぁ)

「報告を続けさせていただきます。本日の切り分けテストは
 既にフローチャートを作成いたしました。原因は
 1.OSのバグによるメモリブロックの破壊
 2.OSのバグによるモジュールそのものの破損
 そして、最後に3.製品のバグと考えられます。
 我々の推定が正しければ、最悪の3は考えにくく、
 1.2.の場合、運用の変更によって現象を抑える
 ことが可能!と考えます。」
これぞ、論理的説得作戦!破綻があるとすると...

「その推論が、この場で100%と言い切れるのか!?」
自信たっぷりのシステム部長。

「試してみないとわかりません。トラブルは会議室で
 起こってるのではない!...からです。」
課長代理は「ない!」に力を込めて、にっこりと話した。

「あっはは!なるほど、マシン室で起こっているのか...」
会議は一転和やかなムードに包まれた。もちろん、
厳しい言葉が飛び交うが、参加者の顔は明るい。
官僚的な責任転嫁から、一転「今、何をするべきか!」
にダイナミックに変換した瞬間であったのだ。

★後日談

事業部長会談の際に、上記の部長様は震えておりました。
言葉が上手く出てこない。終いには事業部長様より
「お前、日本語直した方が良いのじゃないか?」
と言われたほどです。上には上があるのですね。


【大本営の詩 その2】

いつもは雄弁な『海』にしては、珍しく無口だった。
客の前だと言うのに、腕組みして天を仰いでいる...

「ですから、海さん!19日までに仕様を直してもらわないと
困るのです!Y課長からもキツく言われていますので...」

(「理由が課長に言われたからだと?ビジネスはガキの使い
じゃねえぞ!若造、なめんなよ!」)

担当者の責任回避のためだけに召集を食らった『海』は、
極めて不機嫌だった。とりあえず、軽いジャブを入れてみる。

「『仕様不良』と言う物騒な言葉は取り下げていただけませんか?
以前、仕様だとご説明して納得していだだけたはずですよね...」

「ですから、エンドユーザはこれでは使えないと言っているのです!
下手をするとプロジェクトは凍結されてしまいますよ!」

(「まだ言うか...」)
アサシン(海)はマントの中の蛇剣の柄に、そっと手をかけようとする。

「わかりました。仕様不良が不適切なら取り下げましょう!ただし、
19日までの修正の確約と、9月末までに発見された仕様変更は
同様の対応していただけますよね?」

密かに抜かれた蛇剣が見えない疾風となり、担当者の頭上から、
舞い降りようとしたその刹那...

「おい!それでは海さんが可哀想じゃねぇか!約束通り、7月末で
仕様凍結してやんなよ!それに、誰が考えても19日は無理だろ?」

今まで、黙って会議を見守っていたK課長の言葉に討たれた海は、
一瞬体が固まった。そして、氷壁が暖かい風に吹かれて、ゆっくり
と溶けていくのを感じた。

「しかし、K課長...エンドユーザに使っていただくまで、まだ
仕様変更が残っている可能性がありますので...それに...」

「だったら、今から仕様を徹底的に洗い直しな!今までお前さん
が確認をサボった言い訳じゃねぇのか?今回の件も26日まで
にプログラムを貰えれば、ギリギリ間に合うだろ?こんな時は、
お前さんが徹夜な!」

「...しかし...Y課長が...」

「あぁ...あの人は感覚がどこか狂ってる。彼を基準にしたらダメ
だぞ!ビジネスとはお互いが協力しあって、最善の道を探ること。
信頼の上に成り立つのさ...」

心の拠り所を失った、担当者は放心状態となった。

「海さん!何とかタイムリミットの26日までにはお願いします。」

「もちろんです!7月末に仕様凍結していただけるなら、弊社として
は最善を尽くすつもりです!厳しい戦いになりますが...ね♪」

K課長はかつて、海と舌戦を繰り広げた、宿敵と言える存在だった。
お互いの腹の中を全て見せ合って、正面から剣を交えるうちに、
いつしか信頼に、そして友情に変わっていった...

それは、『海』が剣を抜かずに勝利した瞬間でもあったのだ!

★後日談

今回の大トラブルの元凶の1人として、Y課長様は左遷されて
しまいました。後任者も時々「Yの野郎!」と切れるほど...
人望のない方の末路は哀れですねぇ...